宮古島方言マガジン くまから・かまから Vol.39

宮古島方言マガジン くまから・かまから Vol.39

2002年11月7日

きゅうや(きょうは)立冬。ぴしーぴしぬ(寒い)日が続いていますが、皆さん、お変わりありませんかー?くま・かま vol.39をお送りします。最後までごゆっくりどうぞ。

「菜の花発“うぃぴとぅ(老人)問題”」

菜の花

10月から内科病棟へ異動になった。くま・かま(vol.33)で紹介したおじいが毎日のように会いにきてくれた。

ある日、おじいは「帰ることにしたよ」と言ったまま私を見つめる。私は黙っておじいの次の言葉を待った。おじいはまだ喉に管がはいったままだ。閉じることは呼吸困難を意味するので出来ない。おじいはそのことを受け止めながら生活していかなくてはならないのだ。今はスピーチカニューレ(話ができる管)を取り付けているので、話はできるけど、管を詰まらせないように家で管理していくことはだいず難儀だはず。

おじいは「帰るってことは不安だらけだよ。でも、家もおっかあ(妻)も心配だし。一度は帰ろうと思ってよぉ。世話になったな」と私のてぃ(手)を取った。くぱーくぱぬ(ごつごつ硬い)てぃ(手)・・・。ぱたらつむぬ(働き者)のおじいがてぃ(手)。深く刻まれたシワの中にすら、おじいの人生の出来事のひとつひとつが埋め込まれているみたいだ。おじいがてぃや ぬふーぬふしー(おじいの手は暖かくて)うぷむぬどうや(大きかった)握手したてぃぬわーらんかい(手の上に)おじいがなだぬ(涙が)ぽたんとひとつ落ちた。

やー(家)には脳梗塞で左半身麻痺を残したおばあがいるだけ。二人で力を合わせて生活したって、大変なことががいっぱい待ち受けているのだ。私も異動前にはおじいの退院へ向けて、福祉の活用や、医療器具の貸し出し、購入、緊急時の対応などに関わってきた。ようやくおじいは退院できるのだ。でも、正直、喜ぶ反対側でしゅわむぬよー。(心配だ)「風邪ひかないでね。何かあったらすぐに病院に電話してね。いつでも引き受けられるようにしてあるから心配しないで。お家で奥さんとお互いを大切にして養生してね。」おじいへのさまざまな思いと一緒に言葉が溢れてくる。「おぅ。ありがとよ」おじいは何度もお礼を繰り返していた。次の日、おじいが無事退院したと聞いた。7ヶ月も入院していた病院という建物から外で出て、やっとやー(家)に帰れたのだ。

今、病院の中には治療が終わっても、家族問題、住宅問題、一人暮らしであるなどの理由で帰れないうぃぴとぅ(年寄り)がだう(多く)いる。見舞いに来ない家族もいたりする。かつては社会の前線で働き、今の社会を築いてきたのがこのうぃぴとぅたちだはず。子育ても必死でしてきたはず。病院の中には日本の老人医療、老人福祉、家族の問題がだう(たくさん)転がっていて、あがい!すぐにつまづいてしまうさー。

私も毎年誕生日を迎え、年を取っていくのに、自分がうぃぴとぅになることが想像できんでいる。でも誰もが一人残らずうぃぴとぅになるさー。みーぬまい(目の前)のうぃぴとぅの姿は将来の自分の姿!どうするべき?

そんなことを考えている折、中国人のおじいが入院してきた。子ども達が朝から晩まで交代で付き添っている。家族に看護婦もいるので無理しないようにと話したら、宮古にもいるような顔立ちのおばさんが「自分の親ですから、当たり前です」と笑顔で答えた。多くの日本の家族が見失っている何かがそこにあるように感じた。率直で暖かみのある言葉に、島に残っている母ちゃんや、数年前に見取った夫の両親のことを思い出した。私がとぅす(年)をとったらのうしいぬ(どんな)老後を送るのだろうと考えてしまった。

やっぱり今のうちになんとかしないとならんじゃないかー?

「宮古のことわざ」

〔 傍からどぅ 偉人ぁ生まり 〕

アッツァカラドゥ
ブスァンマリ

名もない山村から突然、学者や政治家が生まれたりする。偉人というのは環境だけではない。本人の努力だ。

『んきゃーんじゅく』 佐渡山政子/編 より

「ミャークフツ講座 反対語編」

ざうかに

  • やまかさ ⇔ いきゃーら
    (たくさん ⇔ 少ない)
  • ぴゃーぴゃー ⇔ ぬかーぬか
    (早い ⇔ 遅い)
  • あがた ⇔ つかふ
    (遠い ⇔ 近い)
  • まい ⇔ ちび
    (前 ⇔ 後ろ)
  • っしゃな ⇔ きちぎ
    (汚い  ⇔ きれい)
  • んき゜⇔ ぴだす゜
    (右 ⇔ 左)
  • わーぶ ⇔ すた
    (上 ⇔ 下)
  • あがす゜⇔ さがす゜
    (上がる ⇔ 下がる)
  • ぬうず ⇔ うり
    (乗り  ⇔ 下り)
  • ぞうぎ  ⇔ んずぎ
    (きれいな人 ⇔ そうでない人)
  • でぃきぶつ ⇔ ふすぐどぅん
    (秀才 ⇔頭の悪いやつ)
  • ぴずぅ ⇔ き゜す
    (行く ⇔ 来る)

「遠い記憶」

松谷初美

私達は、まいやがぴにつ(毎日毎日)何かをして過ごしているが、この日々の記憶は、かなまず(頭)の中でいったいどうなっているんだろうと時々思う。

昨日のことを思い出せないのはよくあることだし、冷蔵庫を開けたのに何を取り出そうとしたのか忘れるのも日常のこと。(私だけか!?)それなのに、数年前、いや何十年もんきゃーん(昔)のことを鮮やかに覚えていたりする。(たんに年を取っただけかも!?)また、すっかり忘れていたことを、何かの拍子に鮮明に思い出すこともある。そんなぱなす(話)。

去年から今年にかけて夏川りみが歌う「涙(なだ)そうそう」という歌が流行ったが、私はこの「なだそうそう」とういう語感に何か懐かしいものを感じていた。しかしそれが何なのかぜんぜん思い出せない。「なだそうそう、なだそうそう・・」何回も口にしてみるが、出てきそうで出てこない。あー、むでぃかーす!(もどかしい!)

そんなことが続いたある日。ある本を読んでいたら、沖縄の歌「ちんぬくじゅうしぃ」の歌詞が紹介されていた。その歌詞の中に先の「なだそうそう」が出ていたのだった。そうだ、これだ!私は、思わず叫んでしまった。「ちんぬくじゅうしぃ」とは、「里芋の炊き込みご飯」という意味。沖縄の日常の生活を歌にしたもので、今から30数年前沖縄中で大ヒットした。(この歌は沖縄本島の方言のため、当時は意味も分からないまま歌っていた)やっと思い出すことができた。あがいたんでぃ!だいずぷからす!(すごくうれしい!)

私は子供の頃この歌が大好きだった。レコードも持っていた。確か※フォーシスターズが歌っていた。レコードは何回もくり返し、くり返し聴いた。歌詞を見たら懐かしい言葉がだう(たくさん)並んでいて思わず口ずさんだ。そしたら、感激のあまり本当に「涙そうそう」(涙がさらさら流れる感じ)してしまった。

なんでこんなに大好きだった歌を忘れるのだろう。でも、思い出したら、次々いろいろなことが甦った。おじいに連れられて、※まいなみ劇場(と私は記憶しているが琉映館だったらしい)までフォーシスターズを見に行った事。その4人の白いかわいい衣装と三線姿などなど、あれやこれや。

思い出の小さなかけらを拾えば、そこから繋がって、他のかけらも合わさり、ひとつの形になるものらしい。記憶は忘れられたりするけど、どぅが(自分の)中のどこかには存在している。何だかすごく幸せな気分。

他にも日頃は思い出さない記憶は、存在するのだろう。心満たされる記憶のかけらをまたどこかで拾って、懐かしい自分に会うのもいいかもしれない。

※フォーシスターズ
1960年代沖縄で活躍した4人姉妹の歌手グループ。上は13歳〜下は8歳のかわいらしい姉妹であった。宮古にも何回かショーが行われた。「ちんぬくじゅうしい」は、フォーシスターズの代表曲のひとつ。

※戦後、宮古を代表した劇場は、とみや会館、まいなみ劇場、琉映館、国映館。今はそのどれもがなくなった。

「先輩の純愛の巻き」(投稿)

イサミガさんより

「い、いま、なんて言ったの・・??」

その日は、パイナガマのビーチで、部活の体力強化メニューをこなしていた。鬼コーチの監視の目が、沖縄の太陽以上にギラギラと暑さを倍増させていると感じてしまうぐらいの状況に中、日陰でベロを出してハーハーしている、ワンワン君のようになりながら練習をして、無事に開放された。

砂漠のようにカラカラになった喉を潤すために、一目散にオアシスへ。とその時、オアシスとの中間にあたりの木影に、学校内では、とっても硬派でかなり野蛮人と誰もが認める先輩が、なんと!!彼女と伊良部島のかなたへ沈む夕日を鑑賞するかのようにデートをしているではないか!

後輩である僕は、普段から先輩に遭遇するたびにボクシングジムに通っているような錯覚をおこし、学園生活をマゾに磨きをかけるかのように送っていた。その先輩が、彼女を傍に別人の様な表情でなにやら会話をしているではないかどうしよう。

カラカラの喉を潤おすにはまず???

  1. U−ターンして遠くのオアシスへ向かう
  2. 先輩に見つからないように、傍を通り抜ける。

当時の僕にとっては究極の選択であったが、チャレンジャーの僕はあえて先輩の傍をコッソリと通り抜ける作戦を決行する事にした。だんだん先輩たちが腰掛けている傍に近づいていくと、2人の会話も聞こえるようになってきた。その会話は、なんと普段の先輩からは程遠い内容であった。お陰で卒業して十数年がたった今でもパイナガマを見るたび、このフレーズがさざなみのように聞こえてくる。

先輩:アガイ カヌ テダヲミミール ヤグミキレイガマ ヤ
(ほら、あの太陽を見てごらん すごくきれいだねー)

彼女:マーンティ ヤ キューヌ ティダヤ キレイガマ ヤ
(ホントねー。きょうの太陽は、とてもきれいだわ)

先輩:キューヤ ヤグミロマンチックガマッイ
(きょうは、特別、ロマンチックだ!)

(想像するときにちょっと注意!気持ちをこめて発音をして見ましょう)

この人があの先輩かーと思うような会話に、僕は一瞬、夏のアスファルトからの余熱が残る夕焼け空に、凍ってしまった!!!次の瞬間、強化合縮の成果を実感するかのように ダッシュしている自分が居た。

それから先輩と遭遇するたびに同じ人だったのかと??ただでさえ少ない僕の脳細胞がフル回転し、めまいを感じるようになった。

※イサミガさん投稿たんでぃがーたんでぃ。私も先輩の顔が見てみたいゆー。でも、意外とそういう人の方がロマンチックだったりするかもね。

「編集後記」

松谷初美

皺ができ、すさが(白髪)がでてきて、どうまい(自分も)とぅすばーとぅずどぅすさいが(年を取るんだなー)と妙に納得しているこの頃。どうが(自分の)老後のことも少しは考えるようになったけれど、病気になったら、とはあまり考えていないかもしれない。菜の花の看護婦としての現場の声は、とてもずしりとひびく。いくら福祉が充実したとしても、やはり心あたたまる人の気持ちに触れるものほど、大切なものはないのかもしれないね。

気温はまだ高くても、宮古もぴしーぴしなってきたようです。冬は宮古もそれなりに寒いんだよね。皆さん、感冒しませんように。

次回は、11月21日の予定です。あつかー、また。